“Голос России” о книге “В тени Восходящего солнца” (на японском языке)

日本のロシア正教の神学校の生徒がスパイに
なぜ日本で青年時代を過ごし、教育を受けた人々は、日本に対するスパイ活動を始めるのだろうか?ロシアの東洋学者アレクサンドル・クラノフ氏の著書「昇る太陽の陰で」を読むと、このような問いが浮かんでくる。

最近ロシアの出版社「ヴェーチェ」から刊行された同書籍の銘句には、日出づる国、日本でロシア正教の教えを広めたニコライ・イポンスキー大主教の「私たちがより深く日本を知っていたならば、我々の日本との不幸な戦争はなかったであろう」という言葉が引用されている。
知識は確かに、時おり、不幸をもたらす行動をおさえる助けとなる。これは、ニコライ大主教の人生経験が明確に物語っている。日本ハリストス正教会の最初の信者となった日本人は、ニコライ神父を殺害するために同氏のもとを訪れた、神道の祭司で元「サムライ」の沢辺琢磨氏。沢辺氏は、1968年に洗礼を受けて、日本ハリストス正教会の初の信者となった。沢辺氏は、ハリスト正教会は日本を占領するために他の国が利用しているものだと考えた。ニコライ神父は、そのことを知らずして判断を下してはならないと指摘し、沢辺氏は思いとどまった。そしてその後、ニコライ神父は自分の力の許す限り、正教やロシアに関する日本人の知識、そして日本に関するロシア人の知識を広めるために努力した。そしてその為に、ロシア正教会の神学校を東京に開校した。この学校の卒業生たちが、書籍「昇る太陽の陰で」の主人公だ。
そのうちの数人は、ずいぶん前からロシアで知られている。例えば、ロシアの格闘技「サンボ」の創始者のワシリー・オシェプコフがいる。オシェプコフは、武道の頂点への道を、新学校の同級生トロフィモフ・ユルケヴィチと一緒に日本で歩み始めた。だが彼らには、新学校の卒業生ウラジーミル・プレシャコフやイシドル・ネズナイコなどと同じように、ある共通点があった。彼らは1920年代にソ連の情報機関の職員となり、全員が日本を対象とする諜報活動を行ったのだ。
日本語や日本の文化に興味を抱いている現代の多くの人々は、「日本に住みながら日本に愛着を抱かないなんて不可能だ!なぜ彼らは、日本を対象とする諜報活動なんかを請け負うができたのだろうか?」と、神学校の元生徒達の人生における転換に当惑するだろう。
だが、その問いに対する答えは単純だ。20世紀前半、日本はいま私たちが知っているような快適で平和な国とはほど遠かった。ロシア人神学生の大部分が日本へ渡った1906年以降、日本はロシアの政治的パートナーとなったが、多くの日本人の意識の中でロシア帝国は敵であり、敗戦国であるととらえられていた。日本社会では、ロシアは日露戦争でいかなる賠償金も支払わなかったため、日本が勝利に対して得たものはあまりにも少ないという認識が広がっていた。この状況に対する不満と苛立ちは、ロシアと講和条約に調印した日本の外交官、そして恐らく、当時日本に滞在していたロシア人にもふりかかったであろう。
1917年の革命後、ボリシェヴィキ政権が日本とのパートナー関係を解消し、日本は臆面もなくロシア極東に対する武力介入への参加を決めた。米国の派遣部隊としての日本の行動は、赤軍パルチザンに対する戦闘行為だけでなく、一般市民に対する懲罰も伴った。そのため、1920年代初めまでに、軍事、および(あるいは)、東洋学的な教育を受けることができた上記の元神学生たちの多くが、ソ連の情報機関から日本を対象とした諜報活動を依頼され、ほとんど迷うことなく受け入れたのは、驚くに値しない。

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